難民に関するよくある質問
難民とは、紛争や人権侵害などから自分の命を守るためにやむを得ず母国を追われ逃げざるを得ない人たちのことです。
「難民」と聞くと、自分とは違うどこか遠い存在と感じるかもしれませんが、実際はどうでしょうか? 「難民」となる前は、私たちと同じように、仕事や家があり、家族との日常があった人たちです。
難民になる理由はさまざまです。たとえば、改宗したことや、民主化活動に参加したこと、同性愛者などの性的マイノリティであることなど。なかには、反政府活動をしているグループと同じ地域に暮らしているだけで、「反政府」とみなされて迫害されるケースもあります。シリア紛争下で起きていることは、まさにこの事例です。
一つの考え方として、国境を越えて国外に移動し、一定期間または永続的に暮らす人を移民とすると、難民もその中に含まれます。言葉や環境が異なる移動先での経験は、両者に共通するでしょう。大きな違いは、出国した理由です。
移民の多くは、自らの希望や選択によって移動しています。一方、難民は、自ら望むのではなく、命の危険などから国外への移動を強いられます。
ただし、難民にもそれぞれの思いや希望があります。厳しい状況と少ない選択肢の中でも、家族とともに尊厳を持って自立して生きていくため、子どもによりよい教育を受けさせるためにと、それが実現できる国や地域を目指すといった主体的な側面もあります。もちろん移民の中にも、人身取引などの人権侵害を受け、助けが必要な人もいます。両者は異なる点もありますが、その境界線は常にあいまいといえるでしょう。
難民問題とは、人の命や人権、そして難民を取り巻く世界全体に関わる問題です。政治体制、歴史、民族や宗教の対立、南北問題、貧困問題など、難民が生まれる背景には世界中のさまざまな問題が複雑に絡んでいます。
歴史を振り返ると、いつの時代も「難民」は存在しています。しかし、「難民問題」として国際社会に注目されるようになったのは、ロシア革命やオスマン帝国の崩壊などによって難民が急増した第一次大戦以降のことです。第二次世界大戦中にはホロコーストによって難民が増加し、難民を保護する必要性がより高まりました。
そこで、戦後間もなく設立された国連を中心に、難民問題への取り組みが始まりました。1950年には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立され、さらに東西冷戦によってより深刻化した難民問題に対処するため、1951年には難民条約が生まれました。
難民問題は一国で解決できないグローバルな人道問題です。国連やNGOの間では、「負担/責任の分担」がキーワードとなっています。国際社会として、どう協調し、解決策を模索するのか、各国の対応が問われています。
日本には、アジア、中東、アフリカなど世界各国から多くの難民が逃れてきています。そこにはさまざまな理由がありますが、時間的にも手続き的にも、難民には逃れる国を選ぶ余裕はありません。
これまではミャンマーの独裁政権から逃れてくる人が多くいました。最近では、エチオピア、コンゴ民主共和国、ウガンダなどアフリカ諸国から逃れてくる人も目立ってきました。
日本をあえて選ぶというよりは、逃れる先を探すなかで、最初に日本行きのビザが下りたという偶然の理由がほとんどです。「難民ビザ」のようなものは存在せず、観光やビジネスなどのビザを取得して国外に逃れます。時には、「友人がいたから」「過去に仕事で来日したことがあったから」という理由で日本を選ぶ人もいます。母国から迫害を受けている難民が、正規のパスポートを取得することは簡単ではなく、ブローカーにお金を払うなどして、なんとか「偽造パスポート」を取得し逃れてくる人もいます。日本の場合、多くの人は飛行機できますが、家族や仲間の助けを借りて、なんとか旅費を工面し、最低限の荷物とお金を持って日本にたどりつきます。
日本には毎年多くの難民が逃れて来ていますが、「難民」と認められる人はごく僅かです。日本で「難民」として認めてもらうには、難民申請手続きをして、難民認定を受ける必要があります。
日本には世界約70ヶ国から難民が逃れてきています。しかし、難民認定される人は非常に少なく、2015年は7,586人が申請しましたが、認定されたのはたったの27人でした。
着の身着のままで逃れてきた難民にとって、膨大な証拠資料を用意し、日本語訳を提出することは容易なことではありません。しかし、認定を受けたから「難民」になるわけではなく、「難民」であるから逃れてくるということを忘れてはいけません。
日本では、難民条約を厳格に解釈し、「狭義の難民」しか保護の対象としてきませんでした。また、難民認定の実務を法務省入国管理局が担っているため、難民を「保護する(助ける)」というよりは、「管理する(取り締まる)」という視点が強いといえます。
こうした制度面の課題が、認定率の低さにつながっています。日本は国際基準と比較すると、だれが「難民」かを決める認定基準や、公平性、透明性を確保した手続き基準、難民の受け入れ体制などが、まだまだ不十分だと言えます。
もうひとつ大きな課題として、難民問題に対する日本社会の認知が広がっていないことも受け入れの進まない理由のひとつでしょう。難民を治安悪化や社会のリスクとつなげるなど、難民受け入れに関する根拠のない誤解や偏見も、現状の厳しい受け入れ状況を後ろ支えしているかもしれません。
最低限の衣(医)・食・住もままならならず、来日直後、時にはホームレス状態になってしまう人もいます。難民申請の結果がでるまでには平均3年、長い場合で10年近くかかるため、先の見えない不安な日々を送っている人が少なくありません。
知り合いもおらず、言葉もわからない、難民申請に関する情報も持っていない。来日する難民の置かれた状況です。そして、数日から数週間で母国からの所持金が尽き、ホームレス状態に陥ってしまうこともあります。食べるものがなく、ゆっくり眠れるところもない。冬服の用意がないまま真冬の日本に到着する場合は、暖かい服もない。そんな厳しい現実に直面します。
認定されたら、迫害の待つ母国に送還される恐怖から解放され、安心して日本で暮らしていくことができます。不認定の場合は、母国に強制送還される人、再び申請をする人、人道的理由から滞在が許可される人などそれぞれです。
難民と「認定」されると、「定住者」という在留資格が与えられます。迫害の待つ母国に送り返されるかもしれない恐怖から解放され、安心して生活することができます。また、国民健康保険への加入や仕事の紹介、半年間の日本語学習プログラムなど、日本で生活していくにあたって必要なサービスを受けられるようになり、家族の呼び寄せや日本への帰化もより容易になります。なかには起業して社会的に成功している難民もいます。 不認定の場合でも、人道的配慮により日本で暮らすことが許可されることがあります。ただし、日本語習得や就職の支援が受けられない、家族の呼び寄せが難しいなど、大きな違いもあります。
難民こそが暴力とテロの犠牲者です。難民の移動がテロをもたらすのではありません。テロや戦争の恐怖が、難民となる人を生み出しているのが現実です。たとえば、シリアから逃れている人びとの多くは、無差別攻撃によって家族や友人を殺され、家を焼かれ、国を逃れた人びとです。
テロリストの入国リスクがゼロにならない限り、難民を受け入れるべきでないという意見もあります。しかし、国境を越える人の移動が「リスク」だとすれば、それは難民に限りません。観光客の来日も同様です。そう考えると、テロリストが紛れ込むことを理由に、難民の受け入れを拒絶することは理に叶っていません。 難民を保護する(助ける)ことと、人の出入国を管理する(取り締まる)ことはそれぞれに重要ですが、対応方法を混同してはいけません。
「難民」というと、ずっと支援が必要というイメージがあるかもしれませんが、新たな土地で生きるために必要な支援を受けた後は、成人であれば働き、納税し、社会の中で自立していく人たちです。
「難民」として生き延びるという過酷な経験は、時に、彼らに生きる力の強さや逞しさを与えます。逃れた先でそれらを活かし、社会的に成功している人、受け入れ社会に大きな貢献をしている人もいます。
一方、難民となり教育の機会を奪われた人や、拷問の経験からトラウマを抱えている人もいます。平和で安全があり、人が支えあって生きる仕組みがある国が、教育の機会や高度な医療を難民に提供することも、価値ある取り組みであることを忘れてはいけません。 そもそも、命の危険から逃れてきた難民を救うのは、当たり前のことです。それは、社会の「重荷」ではなく、「責任」ではないでしょうか。